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帰ってきました [研究活動]

おとつい8/20(月)に、内蒙古より無事帰国しました。
詳細は後日改めて・・・。

8/14からいません [研究活動]

あさって8/14から、1週間ほど日本を離れます。
今回は、内蒙古自治区の赤峰市へ遼の慶陵、祖陵、上京城址などを見に行き、その後北京へ行って社会科学院考古研究所などに立ち寄る、というコースです。
帰国したら、また写真や感想などをここで報告(だれに?)しようとおもいます。
約1年半ぶりの中国。とても楽しみです。クソ蒸し暑くて不快な名古屋から脱出!

つまらん原稿を [研究活動]

最近、論文にかぎらず、文章を書くことができなくなった。以前はごく自然に書けていた文が書けないのだ。
こうしてブログの文章さえも、ときどき言葉が出てこなくて止まるので、えらく時間がかかる。とくにひねった言葉や言い回しをしようとしているわけではない。以前書いていたとおりに、本来の自分の書き言葉が出てくればいいのだが、とにかく語彙も表現も出てこないし、構成や整理もできない。
その原因は思い当たることがあるけど、すぐに矯正できるようなものではない。

だから、研究がらみの原稿や論文もなかなか書けない。書いても、自分でも信じられないぐらい時間がかかる。そんななかでどうにか書いた原稿というのは、また内容までつまらんことを書く。書いている間は、それなりに意味のある内容を書いているつもりだけど、後で校正の頃に読み直すと、こんなつまらんことをどうして書いたのか、と思う。
以前はそんなことはなかった。もちろん他人様が読めば一笑に付されるような内容かもしれないが、自分自身はこれが今の自分の水準と、自分なりには納得ができた。今はそれがない。

最近も、そうやって書いた原稿の初校が送られてきたので、訂正しながら読み直していると、あれ?なんで自分はこんなつまらんネタを書いたんだろうか、と思った。そのつまらん原稿の一部が下の画像だが、秋には某誌に掲載されて刊行されるはずだ。
kosei.jpg

自分の研究・執筆能力はこの程度がもう限界なのかもしれない、と思うことがある。
同業の普通の人たちに比べるとかなり早いけれど、そろそろ考古学から手を引いて、何か違う人生を検討するべきなのだろうか。

新聞記事・古代尾張氏の謎 [志段味の古墳]

古代尾張氏 新興武人の姿

 「尾張氏」展閉幕後、新聞全国紙が文化面で本展の総括ともいえる記事を書いてくれました。
 1面に太宰府で出土した最古の戸籍木簡が大きく報道された日、紙名ロゴの横の主要記事目次に「古代尾張氏の謎」とありました。文化面の半分以上の紙面を割いたかなり大きな記事で、「古代尾張氏 新興武人の姿」という見出しで掲載されています。企画展中に開催したシンポジウムの内容を踏まえ、志段味大塚古墳を中心にして、古墳研究から描き出される5世紀の「尾張氏」を説いた内容でした。
 これを執筆した記者さんはシンポジウム当日に来場取材をしたうえで、その後何度も電話取材を重ねていました。お会いした印象では特段考古学や古代史に詳しい記者さんというわけではないようでしたが、書かれた記事はシンポジウムと展示の内容・主旨を正確に理解し、かつ要領良くまとめられた内容で、文章も練られたしっかりしたものでした。今までの12年間で僕が関わったなかでは、とりわけてよくできた新聞記事でした。
 閉幕後の掲載だったのは残念でしたが、逆にいえば、時間をかけて取材・執筆されたおかげで良い記事になったのでしょう。とすれば、多くの展覧会が開催期間中しか着目してもらえないなかで、閉幕後にまで全国に向けて非常に良い総括記事を報じていただけたわけで、かえってありがたいことといえるのかもしれません。

yomiuri20120613s.jpg
(読売新聞・全国 2012.6.13(水)朝刊 文化面)

企画展閉幕しました [博物館]

企画展「尾張氏」、閉幕しました。
たくさんのご来場、ありがとうございました!!

馬乗りタイプCs.jpg

企画展予告 [博物館]

僕が担当する企画展が、4月末から始まります。
できるだけたくさんの皆さんに来ていただけたら、嬉しいです。

企画展『尾張氏☆志段味古墳群をときあかす』
○会期: 2012年4月28日(土)~6月10日(日)
 (毎週月曜日と毎月第4火曜日は休館、ただし4/30(月・祝)は開館し、翌5/1(火)が休館)
○会場: 名古屋市博物館 1階 特別展示室尾張氏チラシ表s.jpg尾張氏チラシ裏s.jpg
◇記念講演: 4月29日(日) 14時~15時30分
 高橋克壽 氏(花園大学文学部教授)
 「志段味古墳群の登場と大和王権の東国支配」
◇シンポジウム: 5月19日(土) 13時~16時30分
『志段味大塚古墳と五世紀の倭国』
 阪口英毅 氏(京都大学大学院助教)
 山田俊輔 氏(東京国立博物館研究員)

公式HPリンクバナーはこちら↓shidami-banner.jpg
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いただきもの’12 [研究活動]

ブログ更新をしばらく怠けて放置していたので、今回が2012年最初のかきこみです。
新年になって初めていただいた文献や資料は下記のとおり。
ありがとうございました。


(抜刷)
河内一浩 2011 「和歌山市・鳴神埴輪窯の再検討―紀伊の後期円筒埴輪について―」
           (『堀田啓一先生喜寿記念 獻呈論文集』 2011年11月)
(報告書)
大山崎町教育委員会 2010 『松田遺跡 大山崎町埋蔵文化財調査報告書第40集』
大山崎町教育委員会 2011 『松田遺跡 大山崎町埋蔵文化財調査報告書第41集』
大山崎町教育委員会 2011 『大山崎町埋蔵文化財調査報告書 第42集』

(現地説明会資料)
大山崎町教育委員会 「鳥居前古墳第6次調査報道発表資料」 2012.01.25
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地名まちがい [魏晋南北朝考古]

 ひさびさ更新の今回は、考古学で使う中国の地名のはなし。
 日本考古学でも同様なのだが、中国でも考古資料や遺跡に関係する地名というのは、日本でいえば小字に相当するものが多く、あるいはそれよりももっとローカルな場合もある。
 そして地名を知るにあたってさらに厄介なのが、中国の漢字である。現代中国で使う簡体字という漢字は、必ずしもすべての漢字が簡体化しているわけではなく、比較的単純な字形などの漢字で簡体化せずにそのまま使われているものもある。そのため簡体化した漢字が別の漢字と同じ字形になり、もともと全く別の漢字であるにもかかわらず、現代では同じ漢字で表記されるという例がしばしばみられる。しかも漢字を使っている日本人にとっては、日本漢字とも同じに見えてしまうので、ますます混乱する。
 僕のブログに写真を使っている南朝陵墓の石獣の名称は、簡体字で書くと「狮子冲南朝陵墓石刻」である。「狮子冲」が地名だが、日本人の一般的な中国語学習者の感覚だと「狮」=「獅」の簡体字、「冲」=「衝」の簡体字だから、この石獣が日本の本や論文に使われるときは「獅子衝南朝陵墓石刻」というキャプションが付けられていることが多い。僕自身も、心の片隅では“地名に衝撃の「衝」なんて変わってるなあ。ほんとかなあ。”という好奇心に似た素朴な疑問をもちながらも、まあいいやと、比較的最近まで「獅子衝」と表記していた。
 しかしこの日本漢字での表記はまちがいである。何気なく調べてみる気になって辞書を見ると、「冲」は二つの同音字をもっており、「衝」の簡体字、または「沖」だった。「沖」は地名に用いられる字で、谷あいの狭い平地のことをいうのだそうだ。たしかに南朝陵墓石刻は三方を山や丘陵に囲まれた谷地形に設置されるのが原則で、狮子冲石刻はその典型的な例のひとつといっていい。まさしく「狮子冲」の「冲」は、「沖」だったのだ。したがって日本漢字で表記する場合は、「獅子沖南朝陵墓石刻」とするのが正しい。もっと早く、疑問をもった時点で調べとくべきだったなあ・・・と反省。
 でも、超ローカル地名なので、現地のごく附近に住んでいる人か考古関係者でないかぎり、南京人は「狮子冲」なんて地名、だれも知らないんですよ・・・。

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最近のいただきもの [本の紹介]

 7/9(土)~7/11(月)のこの3日間、埴輪研究会の夏季見学会がありました。その見学会でお会いした方々からいただいた本や抜刷です。みなさん、どうもありがとうございました。

太田博之2010「朝鮮半島起源の服飾・器物を表現する埴輪について」
  (『古代』第123号、早稲田大学考古学会)
金澤雄太2011「富田林市真名井古墳出土埴輪の特徴と編年的位置」
  (『平成20~22年度科学研究費補助金 基盤研究(B)研究成果報告書 古墳時代政権交替論の考古学的再検討』、福永伸哉編)
辻川哲朗2011「近江・湖東北部の埴輪」
  (『紀要』第24号、財団法人滋賀県文化財保護協会)
辻川哲朗2011「近江・冨波亀塚古墳出土埴輪の再検討」
  (『琵琶湖と地域文化―林博通先生退任記念論集』、林博通先生退任記念論集刊行会)
徳田誠司2011「米国ボストン美術館所蔵 所謂「伝仁徳天皇陵出土品」の調査」
  (『書陵部紀要』第62号〔陵墓編〕、宮内庁書陵部)
羽曳野市教育委員会編2010『河内の前期古墳 庭鳥塚古墳 調査概報』
古市古墳群世界文化遺産登録推進連絡会議2010『古市古墳群を歩く』
壬生町立歴史民俗資料館2011『しもつけ古墳群―下毛野の覇王、吾妻ノ岩屋古墳から車塚へ―』

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中文書籍整理中(2) [本の紹介]

続きです。

員安志 『中国北周珍貴文物』(中華珍貴文物叢書)、陝西人民美術出版社、1992年
王俊 主編 『馬鞍山六朝墓葬発掘与研究』、科学出版社、2008年
賀雲翺・邵磊 『中国金銀器』、中央編譯出版社、2008年
賀雲翺 『六朝瓦当与六朝都城』、文物出版社、2005年
甘粛省文物考古研究所 『敦煌佛爺廟湾 西晋画像磚墓』、文物出版社、1998年
甘粛省文物考古研究所・戴春陽・張瓏 『敦煌祁家湾―西晋十六国墓葬発掘報告』、文物出版社、1994年
咸陽市文物考古研究所 『咸陽十六国墓』、文物出版社、2006年
高蒙河 『長江下游考古地理』、復旦大学出版社、2005年
鄒厚本 主編 『江蘇考古五十年』(江蘇文物叢書)、南京出版社、2000年
斉東方 『唐代金銀器研究』(唐研究基金会叢書)、中国社会科学出版社、1999年
陝西省考古研究所 編 『西安北周安伽墓』、文物出版社、2003年
中国社会科学院考古研究所・河北省文物研究所 『磁縣灣漳北朝壁畫墓』、科学出版社、2003年
趙憲章・朱存明 『美術考古与芸術美学』(美術考古学叢書)、上海大学出版社、2008年
鄭岩 『魏晋南北朝壁画墓研究』(考古新視野叢書)、文物出版社、2002年
程林泉・韓国河 『長安漢鏡』、陝西人民出版社、2002年
南京市博物館 編 『南京文物考古新発現』(南京歴史文化新探二)、江蘇人民出版社、2006年
南京市文化局・南京市文物局 主編 『南京文物精華 器物編』、上海人民美術出版社、2000年
寧夏回族自治区固原博物館・中日原州聯合考古隊 『原州古墓集成』、文物出版社、1999年
楊泓 『漢唐美術考古和佛教芸術』、科学出版社、2000年
姚遷・古兵 『南朝陵墓石刻』、文物出版社、1981年
羅宗眞 『魏晋南北朝考古』(20世紀中国文物考古発現与研究叢書)、文物出版社、2001年
羅二虎 主編 『中国美術考古研究現状』(美術考古学叢書)、上海大学出版社、2008年
李裕群 『北朝晩期石窟寺研究』(考古新視野叢書)、文物出版社、2003年
林樹中 『六朝芸術』(六朝文化叢書)、南京出版社、2004年

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