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新聞記事・古代尾張氏の謎 [志段味の古墳]

古代尾張氏 新興武人の姿

 「尾張氏」展閉幕後、新聞全国紙が文化面で本展の総括ともいえる記事を書いてくれました。
 1面に太宰府で出土した最古の戸籍木簡が大きく報道された日、紙名ロゴの横の主要記事目次に「古代尾張氏の謎」とありました。文化面の半分以上の紙面を割いたかなり大きな記事で、「古代尾張氏 新興武人の姿」という見出しで掲載されています。企画展中に開催したシンポジウムの内容を踏まえ、志段味大塚古墳を中心にして、古墳研究から描き出される5世紀の「尾張氏」を説いた内容でした。
 これを執筆した記者さんはシンポジウム当日に来場取材をしたうえで、その後何度も電話取材を重ねていました。お会いした印象では特段考古学や古代史に詳しい記者さんというわけではないようでしたが、書かれた記事はシンポジウムと展示の内容・主旨を正確に理解し、かつ要領良くまとめられた内容で、文章も練られたしっかりしたものでした。今までの12年間で僕が関わったなかでは、とりわけてよくできた新聞記事でした。
 閉幕後の掲載だったのは残念でしたが、逆にいえば、時間をかけて取材・執筆されたおかげで良い記事になったのでしょう。とすれば、多くの展覧会が開催期間中しか着目してもらえないなかで、閉幕後にまで全国に向けて非常に良い総括記事を報じていただけたわけで、かえってありがたいことといえるのかもしれません。

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(読売新聞・全国 2012.6.13(水)朝刊 文化面)

上志段味の古墳を歩く [志段味の古墳]

 ひさびさに更新です。春も過ぎかけ、夏に向かおうとしていますが、みなさんはいかがお過ごしでしょう。
 さて昨秋に初めて開催し雨天ながらご好評をいただいた、国史跡 白鳥塚古墳や、志段味大塚古墳など、名古屋市守山区の志段味古墳群を歩くイベントを、今年も開催します。前回は発掘調査の現地説明会を兼ねて開催したのですが、今回は少し趣向を変え、ウォーキングイベントのかたちでやることにします。といっても、古墳を歩くツアーですから、もちろん今回も私、ふじいが参加者の皆さんをご案内して、道々の古墳で解説をさせていただきます。いちおう申込み制ですが、担当者としては、当日飛び入りも歓迎します。詳しくは下記のとおり。ぜひご参加ください~。

日時:平成19年6月2日 午前9時15分
   愛知環状鉄道「中水野」駅集合(13時ごろ解散予定)
   ※約6km歩きますので、歩きやすい服装・靴でお越しください。
   ※地図はこちらhttp://map.goo.ne.jp/map.php?MAP=E137.4.29.306N35.14.48.861&ZM=9
見学地:東谷山、尾張戸神社古墳、国史跡 白鳥塚古墳、
    志段味大塚・大久手古墳群、山の田古墳
参加費:保険料30円(当日集合時に集金)
申込み:5月21日(月)締切 (当日消印有効)
    氏名・参加人数を明記のうえ、葉書またはFAXでお願いします。
    電話申込みは受け付けませんので、ご了承ください。
   葉書の場合:〒460-8508名古屋市中区三の丸三丁目1番1号
           名古屋市教育委員会 文化財保護室
   FAXの場合:(052)972-3268
※申込みしていない場合も、急に参加する気になるようなことがありましたら、ご遠慮なく当日に直接、集合場所までいらしてください。(担当者より)

(集合場所までの交通)
 ・名古屋市内より:JR中央本線 高蔵寺駅で愛知環状鉄道に乗り換え、中水野駅下車
   名古屋8:18発→高蔵寺8:44着・8:50発→中水野8:54着
   名古屋8:33発→高蔵寺9:02着・9:05発→中水野9:09着
 ・岡崎市方面より:愛知環状鉄道に乗車、中水野駅下車
   愛知環状鉄道 岡崎8:00発→中水野8:57着
     同    岡崎8:15発→中水野9:11着


志段味大塚など公開 [志段味の古墳]

白鳥塚古墳、志段味大塚古墳などを公開します!
志段味古墳群の主要な首長墳を歩きながら、解説をします。
また志段味大塚古墳・大久手古墳群では、昨年度の主な出土遺物のほか、現在名古屋市教育委員会が実施中の発掘調査現場も公開しますので、最新の成果もご覧いただけます。
今年度の発掘調査は現地説明会がありませんので、どうぞこの機会にご来跡ください。

日時: 平成18年11月19日(日)  1回目 10:30~  2回目 13:30~
集合場所: 国史跡 白鳥塚古墳 南側の空き地
 (JR中央本線 高蔵寺駅から徒歩15分)

以下はチラシです。


白鳥塚古墳の調査成果 [志段味の古墳]

 先日まで名古屋市教委で調査していた守山区 白鳥塚古墳の発掘調査成果が、中日新聞の市民版に掲載されました。
 記者さんは歴史や考古学にはあまり詳しくないと言っていましたが、それでも熱心に取材していただき、書いてくれました。僕も質問に一生懸命答えたつもりですが、やはり専門的な調査成果を、事実関係として説明しつつ、それでいてその具体的な意義や評価をわかりやすく説明して、というのは難しいものです。僕にとっても、ちょっと勉強になりました。


今年も調査中です [志段味の古墳]

 名古屋市守山区、志段味大塚古墳・東大久手古墳・西大久手古墳・大久手5号墳の4基の帆立貝形前方後円墳と、約5基の円墳からなる大久手池周辺古墳群を、昨年度に引き続き、現在発掘調査中です。
 今年度は、志段味大塚古墳・大久手5号墳の帆立貝形前方後円墳と、大塚2号墳・大塚3号墳の円墳、さらに地籍図に「塚」として出てくるものの存否未確認の無名塚について調査しています。
 昨年度の調査で、志段味大塚古墳では水鳥や鶏などの形象埴輪が出土したほか、埴輪から時期がTK208型式期と推定されました。さらにレーダー探査によって、かつて梅原末治先生が調査されたものとは別に埋葬施設が存在する可能性が出てきており、築造時期の再検討を迫りつつあります。今年度はこの埋葬施設の遺存状態の確認と、梅原調査の埋葬施設の再検出を試みます。
 今年度も現地説明会を予定しておりませんので、随時見学を歓迎します。ぜひご来跡いただき、ご意見ください。よろしくお願いします。

調査時期: 見ごろは11月下旬~12月上旬頃の予定です。
     調査自体は2006年12月20日頃までやっております。
問合せ: 名古屋市教育委員会 文化財保護室 藤井まで
    TEL (052)972-3268

地図→ http://map.yahoo.co.jp/pl?lat=35%2F14%2F56.371&lon=137%2F2%2F38.54&layer=1&ac=23113&mode=map&size=s&sc=4


その四、東大久手古墳・西大久手古墳 [志段味の古墳]

 中断していた志段味の古墳シリーズのつづきだ。
 大久手古墳群には、志段味大塚古墳をはじめ4基の帆立貝形前方後円墳があるが、今回紹介する東大久手古墳(写真上)・西大久手古墳(写真下)がそのうちの2基だ。大久手1号墳、大久手2号墳という別名でよばれる場合もある。

 写真では、2基とも一見立派な墳丘にみえるが、じつは見かけだおしだ。いずれも今は高さ40~50cm程度の平坦な墳丘が残存しているだけで、生い茂った樹木が、両古墳の墳丘を立派なものにみせている。しかし帆立貝形前方後円墳の平面形はかなり「良好」に残存するのが、せめてもの救いだ。墳長はいずれも40m弱である。
 東大久手古墳は、古墳の時期を知るのによく使われる『前方後円墳集成』という本では、「9期」という時期、つまり6世紀初頭~前葉ごろに位置づけられている。また西大久手古墳は情報がなく、位置づけじたいがされてこなかった。

前方後円墳集成 (中部編)

前方後円墳集成 (中部編)

  • 作者: 近藤 義郎
  • 出版社/メーカー: 山川出版社
  • 発売日: 1992/02
  • メディア: 大型本

 ところが、つい最近、僕の職場の収蔵庫を漁っていると、「大久手2号墳」、「大久手3号墳」それぞれの裾の畑で採集したという須恵器が見つかった。これらの須恵器、前者が濃尾地域でいう猿投窯の「東山48(218-Ⅰ)号窯」式期、後者が「城山2号窯」式期あたりとおもわれ、いずれも5世紀中葉~後半のもののようだ。「大久手2号墳」は西大久手古墳のことで、「大久手3号墳」は西大久手古墳の近くにある直径20m弱の円墳だから、この須恵器が本来これらの古墳のものだとすると、従来考えてきたよりも形成時期が溯る古墳群の可能性がでてくる。
 そしてまもなく、まさにこれらの古墳を調査することになるのだから、このモヤモヤした疑問が解けるにちがいない。もちろん仕事だから、必要なデータをえることも、古墳の保護が目的であることも忘れてはいない。しかし学問的な問題意識、疑問や関心をもちながら遺跡と向き合えることは必要だし、また幸せなことだとおもう。こんどの調査は、日程的には相当厳しいのだが、自分を頑張らせる励みになるというものだ。


その三、志段味(しだみ)大塚古墳① [志段味の古墳]

 志段味大塚古墳は、大久手古墳群中、最大の古墳だ。帆立貝形前方後円墳である。墳長は約52m、この墳形としては比較的大きいといえるだろう。

 かつて梅原末治博士により発掘調査がおこなわれ、埋葬施設の粘土槨から、鈴付楕円形鏡板付轡・鈴杏葉・木芯鉄板張輪鐙のセットや、刀剣類、帯金具、鈴鏡など優れた副葬品を出土し、現在も京都大学総合博物館に所蔵されている。墳丘には埴輪もめぐらされていた。。有名な古墳ではあるが、交通の不便さも手伝って、意外と現地を見たことがある人は少ないのではないだろうか。
 現状は、耕作により前方部は低平になっている点も含めて、梅原博士の調査時からあまり変わっていない。当時からあった盗掘坑が大きくなっているのと、周辺で大規模な区画整理による土地造成がはじまり、古墳のそばまで宅地と道路がせまりつつある程度だ。しかしこの区画整理が終われば、完全に住宅地の中に埋もれてしまうことだろう。古墳とともに、この景観を守ってほしい、とおもうのだが・・・。


その二、河岸段丘の風景② [志段味の古墳]

 今回も河岸段丘の風景の続きだ。
 大久手池からは、東に東谷山を望むことができ、その山頂に3基の前期古墳があることは前回紹介した。この東谷山の山頂には「尾張戸(おわりべ)神社」があるが、3基の前期古墳中の1つには、この神社の社殿が座している(尾張戸神社古墳)。また尾根づたいに南へ、尾根の起伏の頂部ごとに中社古墳、南社古墳が築かれている。これらはいずれも前方後円墳である。
 さて東谷山 はその北麓が庄内川畔に迫り、志段味の段丘性の平原の東限をなしている。庄内川の対岸でもやはり高座山が庄内川に迫っているが、こちらは河畔までごくわづかな余地がある。つまり大型河川の中流域において、両岸から山が迫り、その山頂に前期の前方後円(前方後方)墳と、創建の古い神社がある。また山麓の西面には比較的広い平原が展開する、そういう景観なわけである。
 こうした景観は、木曽川中流域をまたぐ犬山市・各務原市の地域でもみることができる。そして、やはりその地域でも木曽川南岸の山頂に、有名な前期の前方後方墳、東之宮古墳が座している。また山麓西面には広大な犬山扇状地が広がるのである。
 このように、尾張で最古段階の前方後円(前方後方)墳を築いた地域が、同様の地理条件のもとにあり、その景観がよく似ることは、非常に示唆的といえそうだ。
 その意味で志段味という地域は、尾張の古墳文化の開始や、古代豪族「尾張連氏」の氏族伝承に、大きな役割を果たした地域として非常に重要であり、あらためて注目されなければならない。



その一、河岸段丘の風景 [志段味の古墳]

名古屋市守山区のはしっこに、志段味(しだみ)というところがある。古代律令制下での尾張国山田郡志談郷にあたる地域だ。今日、このあたりの古墳を見てきた。
 ここは庄内川の中流域で、比較的明瞭に河岸段丘が発達している。その風景は名古屋市内とはおもえないほどに、なかなか風光明媚だ。その段丘上の崖線にそって、4基の帆立貝形前方後円墳と、5基程度の円墳が群をなしている。いずれもだいたい古墳時代中期後半~後期初頭のものと考えられている。4基の帆立貝形前方後円墳と、一段下の段丘面にある勝手塚古墳(帆立貝形前方後円墳)は、それぞれ規模は違うが、平面形は同一企画、つまり相似形墳のようだ。
 この古墳群のすぐ背後には「大久手池」という大きなため池がある。いつごろ造られたものかはわからないが、比較的古くからあり、現代まで修築を繰り返してきたものらしい。地名の「大久手」は「クテ」だから、おそらくもともと原地形が沼地か湿地帯だったのだろう。「オホ」「クテ」というからには、かなり大きな湿地帯だったにちがいない。この大久手池と古墳群とを画する堤防上の歩道から、東に、名古屋市の最高所で頂上に3基の前期古墳をもつ東谷山(とうごくさん)を望む。その山麓には横穴式石室をもつ群集墳が展開している。
 古墳とともにあるこんな景観は、地域の歴史性と自然がよく体現されていて、とてもきれいで気持ちがいい。欲をいえば、小規模ながらすぐそばに迫っている住宅地が、古墳群との間にもう少し控えのスペースをとってくれるとよかったのだが。
 古墳と原風景が共存するいい場所だし、考古学の上でもおもしろい地域なので、これから少しづつ、写真を交えながら紹介していこうとおもう。


 


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