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志段味のこと [雑談]

 本当は、締切り破ってる原稿がたくさんあってそれを早く書かないといけないのだけど、どうにも気分とペースが乗ってこない。なので、こんなつまらんブログの1ヶ月ぶりの更新をしている。

 今年は企画展準備に始まって、4月末~6月初にその企画展を開催し、後片付け・残務処理、そして夏の行事・・・、なんとなくドタバタと、気付けば1年のうち4分の3が過ぎていた。
 その企画展『尾張氏☆志段味古墳群をときあかす』も、もはや3、4ヶ月前とは思えないほど遠い彼方のことだ。展示や図録の中で言い足りなかったこと、反省点、もっとやりたかったこと・・・挙げればいろいろあるにはある。でも、僕の尾張の古墳研究はあの展示がこれまでの集大成であり、一区切りとなったことはまちがいない。

 だから、これで僕は尾張や名古屋の古墳研究から退こうと思っている。僕の次の「世代」の学芸員には、優秀な古墳研究者が合計3人もいる。僕が関わるべきではないだろう。実際の年齢としては2~6歳程度しか違わないので、「世代」と呼ぶのは失礼かもしれない。でも、ここでやってきた仕事の経緯と熱の入れ方という面からいえば、やはりかれらは次の「世代」なのだ。いや、「世代」というよりも、「時代」なのかもしれない。次の「時代」の学芸員、かれらのことはそう呼ぶべきか。

 僕は、ここの市の学芸員にちゃんとした古墳研究者が誰もいなかったときから、1人でこの地域の古墳について研究や未整理資料の公表などをやってきた。
 今やずいぶん知名度の上がった「志段味古墳群」も、僕がずっと、あそこは1日も早く発掘調査に着手し、守っていくべきだ、なんだかんだと、わぁわぁ言い続けていたら、5年経ったある日突然、君が発掘調査を担当しなさい、ということで関わることになった。秋にその調査が終わり、冬に調査成果の概報を刊行したら、直後の3月末に、今度は本庁で古墳整備に道筋をつける仕事をお前がやれ、ということで異動になった。何としても進めなければいけなかったから、内心では承知のうえでずいぶん乱暴なやり方もしたし、迷惑もかけた。だから同じ市の考古学の学芸員たちからは嫌われ、警戒・敬遠された。
 でも、あの頃僕が最初の調査を担当しなかったら、強引に方向性を打ち出さなかったら、僕があそこの古墳について仮説を示さなかったら、トレンチの設定場所を指示しなかったら・・・、いったい、今の志段味古墳群はあっただろうか。その経緯の中にある過程と多くの結果の事実は、誰が何と言おうと一歩も譲れない。そもそも市として公式名称にした「志段味古墳群」を名付けたのは、僕なのだ。
 だから僕は志段味という地域と「志段味古墳群」に対しては、職務としての責任や学問的な興味関心や好き嫌いの問題だけではなくて、あの地域の人や風土への愛着や貢献したい気持ち、自分自身が心血を注いだやりがい、地元と文化財自体への誠意と責任感、そういうものすべてをひっくるめた思いがある。
 今年の春に開催した企画展は、学問的な集大成という以前に、僕が地元への恩返しとしてやらなければいけないと強く思ったからこその企画だ。それをともかくも果たした今、僕はもう志段味古墳群に口出しをしないでいようと思う。次のかれらが、地元のひとびとの思いからずれた方向へ向かわないかぎりは。

 今後僕は、自分自身の本来の専門分野である中国考古の方面で、歩みを速めることにします。
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