SSブログ

納品 [雑談]

拙著『中国江南六朝の考古学研究』、ついに納品されました。別室にこの包みの山とほぼ同じ量がもう一山あります。家にどう置いとけっちゅうねん、こんな数(-""-;)。誰か買ってー(涙)

nohin2.jpgDSC_1229.JPGnohin1.jpgDSC_1216.JPG

nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:学問

新車購入 [雑談]

今日、新車購入しました(^^)
昨年末に引越しするとき、それまで乗っていた普通のママチャリがなくなっていました。
前にパンクして、そのままマンション地下の駐輪場に1年以上乗らずに放置していたので、どうやら大家さんに処分されてしまったようでした。
今の家に昨年末に引っ越してきた後も、それきり自転車を買っていなかったのですが、最近、市内の手軽な移動手段がほしくなったので、今日買いに行ってきました。これで市内はどこでも行けるぞー。

chari-s.jpg

現地を見ること [雑談]

今回の中国展を終えてあらためて思いました。
以前は、考古学関係の後輩や友人たちを誘って、中国へ見学旅行をしていた時期があります。もちろん博物館とか遺跡とかを主に見に行くんですが、そのなかで現地の独特の風景や街並みとか食事とか、普通の旅行会社の企画ツアーなんかだと行けないところに行く、という感じでした。でも、今は友人や後輩たちも就職して忙しくなり、ここ数年はやってません。
展覧会に来場されたお客さんのようすや、話しかけられたときの会話から、もっと現地を知りたい方や、実物・実際の場所を見てみたい方が、やっぱり多いのだと思いました。その感動ばかりは、われわれがどう努力しても日本国内で開催する展覧会では伝えられません。僕自身、現地へ行って、胸にドスンとくる感激というかショックというか、そういうのを感じた場所があります。その現場の空気感というのは、何より実際に肌で感じる以外にないものです。
昨年春に、名古屋市守山区・志段味古墳群をテーマの中心にした古墳の展覧会を開催しました。あのときも、小学校の団体を案内して数回、そして大人を主な対象にして2回ほど、現地見学ツアーをやりました。たしかに志段味古墳群は遺跡としての価値や歴史的意義は東海地方屈指といってもよい古墳群です。しかしそうは言っても、しょせんは国内、しかも奈良や大阪とは違う、名古屋のローカルな古墳群です。それでも、現地を歩いた子供たち、大人たちの反応は、博物館の中にいるときとはまるで違いました。現地を体感した、その空気感と想像が強い印象になったのが明らかでした。
そんなことを踏まえながら、今回の中国展のことも考えたのですが、国内の古墳や遺跡にせよ、中国にせよ、私的にでも現地へ行ってみる機会を作れないものかなあ、と思いました。
だいたい僕の中国旅行は、本当に学術目的で行く場合と、自分が行ってみたい博物館や遺跡などがある地方に半分見学・半分観光という感じで行く場合があります。前者の場合は向こうの大学や研究機関にお願いをするので観光目的というわけにいきません。でも、後者の場合であれば、楽しい雰囲気がいいし、正直言って費用も抑えたいので、何人か一緒に気軽に行ける方がいいです。
もちろん、僕は偉い先生方とは違うので旅行社がバックについているわけでもなく、費用負担はできないので、各自自費負担になるのですが、いちおう参加者の顔ぶれや予算をある程度考慮して、プラン作っていました。機会があればやってみたいですが、僕について中国旅行に行ってみようっていう人いるんでしょうかね。

いろいろ終わりました [雑談]

中国 王朝の至宝』展が終わりました。展示資料と器材の撤収、そしてそれらを次の会場の九州へ送り出して、2日前の土曜日に全部完了しました。冬からずっと縛り付けになっていましたが、これでひとまず解放されます。

昨春も今回と同じ時期に、自分の企画で、尾張の古墳時代に関する企画展をやっていました。思えば、13年前に名古屋に就職したとき、中国と、尾張の古墳時代、どちらの分野でも自分がこの地方の顔になり、どちらの分野も自分の手で何らかの形にまとめて公にしてやろうと考え、そのことを身近な知人・友人たちに宣言していました。それから博士の学位も、できるだけ若いうちに取ろうと思っていました。それらのためにいろんな環境づくりをして、自分の持てる力を全力で振るってきました。一方で、振り回す力余って、良くも悪くも破壊してきたものも少なくありません。ともあれ、14年目にして、所期の目的をすべて果たしましたし、いろんなことがひと区切りを迎えました。

これからまた、次の段階へ動いていきたいと思います。まずはこの夏に韓国で開催される国際シンポジウムの発表準備、それから秋までに来年に博士論文を出版するための準備を。エンジンかけ直さないといけません。
知人・友人のみなさん、どうか応援してください。

中締め [雑談]

 僕はけっこう酒を飲みます。家ではほとんど飲みませんが、飲み会の席や、友人と飲むときなどは最後まで行くタイプです。そういう人間なので、飲み会でよくある「中締め」というやつが、まあ文字通りの中間的な締めでしかありません。でもそこが、メンバーとか飲む目的なんかも絞られてきて、ほんとにディープな楽しい飲みの場に切り替わる、そういう区切りであることは間違いありません。
 僕の研究生活も、その「中締め」にようやくたどり着きました。博士論文を提出し、つい4日前にその公開審査を終えました。テーマは『南北の対比による中国江南六朝の考古学研究』。
 本来は学位委員会の正式な判断結果を待たないといけないわけですが、そこは暗黙の了解というか何というか、ひとまず審査に当たってくださった先生方からは、学位授与について内々定みたいなお言葉を頂戴することができました。就職して7年目から課程に入学し、3年はムリでも4年くらいで提出するべきところ、結局6年かかってしまいました。近年、若手研究者は30代前半までに学位を取得する人が多いですから、世間一般でよく中堅年代といわれる40代がもう近いところに見える年齢となった僕は、かなり後ろのスタートラインということになります。
 でもレベルや内容の良し悪しはさておき、論文という著作物が、研究成果だけでなく、今までのいろんな見聞や経験、思考なども目には見えない形で反映されるものであるとするなら、僕の博士論文は職業人として、若手研究者として、学芸員として、個人として、自分自身のこれまでを未完成ながらもある程度整理し、詰め込んだ、「中締め」なのだとおもいます。そこは30代半ば以前の本当の「若手」の方々が執筆された博士論文と少し違うところなのかもしれません。
 そして、中締めですから、ここからさらに広がり、深まり、また反省し、修正し・・・など、さまざまな展開をはらんでいます。楽しい飲み会の中締めと同じように、ここから自分の研究も生き方も仕事も有意義なものへと深まっていくよう、今回提出した博士論文と3月には頂戴できるであろう博士の学位を、良い意味での区切りにして活かしていきたいとおもいます。
 みなさま、今後もお付き合いをよろしくお願い申し上げます。

謹賀新年、そして今年の展覧会 [雑談]

 明けましておめでとうございます。新年快乐!万事如意!
 もう松も取れようという頃で、ずいぶん遅まきながらですが。

 さて、新年のことといいますと。
 まず、今いよいよ仕事が慌ただしくなりつつあるのが、
日中国交正常化40周年 特別展 『中国 王朝の至宝』
の準備。つい昨年末まで、東京国立博物館で開催されていた、あれです。
次は神戸へ移動して、2月初めから4月初めまで開催されます。そしてその後、4月下旬~6月下旬が名古屋会場で開催というわけです。
 名古屋でも同じ展示品を全部展示しますが、僕の職場の博物館は、展示室の規模が東京国立博物館には到底及ばないのと、展示室の形もあまりよろしくないので、展示はちょっと見づらいかもしれません。
そのかわりというわけでもないですが、講演会とか説明会は充実させております。こんなこと言うとナンですが、他会場では関連行事はそれほど力が入っている感じではありません。その点で、名古屋会場はかなり力を入れています。詳しくは→NHKネットクラブ イベント・インフォメーション
 記念講演会は3回、そして会期中盤過ぎの6/9までは毎週日曜日に毎回テーマを変えて展示説明会、さらに西域文書を読む学習会、中国の歴史と文化にかんするちょっとゆるめの講座、ゴールデンウィークは子供向けのワークショップ、と盛りだくさんです。毎週日曜日の展示説明会も僕が話すのですが、1回30分程度ながら、じつはこいつがいちばん大変で、毎回テーマを変えるということは、つまり1週間の間に異なる話題をまとめ、パワーポイントを作り替えるという作業を6回繰り返すということなのであります。こういうところは、他会場とは違う、名古屋会場の熱意が表れているとおもいませんか?たくさんの方に見に来ていただきたいし、見に来たからには、何か感じたことや学んだことを持って帰っていただきたいとおもうのです。
 まだ『中国 王朝の至宝』を見に行っていない方は、ぜひ名古屋で。東京で見た、あるいは神戸で見るという方も、それは予習とおもっていただき、ぜひ名古屋で復習を!

 みなさん良い一年をお過ごしください。本年もよろしくお願い申し上げます。

志段味のこと [雑談]

 本当は、締切り破ってる原稿がたくさんあってそれを早く書かないといけないのだけど、どうにも気分とペースが乗ってこない。なので、こんなつまらんブログの1ヶ月ぶりの更新をしている。

 今年は企画展準備に始まって、4月末~6月初にその企画展を開催し、後片付け・残務処理、そして夏の行事・・・、なんとなくドタバタと、気付けば1年のうち4分の3が過ぎていた。
 その企画展『尾張氏☆志段味古墳群をときあかす』も、もはや3、4ヶ月前とは思えないほど遠い彼方のことだ。展示や図録の中で言い足りなかったこと、反省点、もっとやりたかったこと・・・挙げればいろいろあるにはある。でも、僕の尾張の古墳研究はあの展示がこれまでの集大成であり、一区切りとなったことはまちがいない。

 だから、これで僕は尾張や名古屋の古墳研究から退こうと思っている。僕の次の「世代」の学芸員には、優秀な古墳研究者が合計3人もいる。僕が関わるべきではないだろう。実際の年齢としては2~6歳程度しか違わないので、「世代」と呼ぶのは失礼かもしれない。でも、ここでやってきた仕事の経緯と熱の入れ方という面からいえば、やはりかれらは次の「世代」なのだ。いや、「世代」というよりも、「時代」なのかもしれない。次の「時代」の学芸員、かれらのことはそう呼ぶべきか。

 僕は、ここの市の学芸員にちゃんとした古墳研究者が誰もいなかったときから、1人でこの地域の古墳について研究や未整理資料の公表などをやってきた。
 今やずいぶん知名度の上がった「志段味古墳群」も、僕がずっと、あそこは1日も早く発掘調査に着手し、守っていくべきだ、なんだかんだと、わぁわぁ言い続けていたら、5年経ったある日突然、君が発掘調査を担当しなさい、ということで関わることになった。秋にその調査が終わり、冬に調査成果の概報を刊行したら、直後の3月末に、今度は本庁で古墳整備に道筋をつける仕事をお前がやれ、ということで異動になった。何としても進めなければいけなかったから、内心では承知のうえでずいぶん乱暴なやり方もしたし、迷惑もかけた。だから同じ市の考古学の学芸員たちからは嫌われ、警戒・敬遠された。
 でも、あの頃僕が最初の調査を担当しなかったら、強引に方向性を打ち出さなかったら、僕があそこの古墳について仮説を示さなかったら、トレンチの設定場所を指示しなかったら・・・、いったい、今の志段味古墳群はあっただろうか。その経緯の中にある過程と多くの結果の事実は、誰が何と言おうと一歩も譲れない。そもそも市として公式名称にした「志段味古墳群」を名付けたのは、僕なのだ。
 だから僕は志段味という地域と「志段味古墳群」に対しては、職務としての責任や学問的な興味関心や好き嫌いの問題だけではなくて、あの地域の人や風土への愛着や貢献したい気持ち、自分自身が心血を注いだやりがい、地元と文化財自体への誠意と責任感、そういうものすべてをひっくるめた思いがある。
 今年の春に開催した企画展は、学問的な集大成という以前に、僕が地元への恩返しとしてやらなければいけないと強く思ったからこその企画だ。それをともかくも果たした今、僕はもう志段味古墳群に口出しをしないでいようと思う。次のかれらが、地元のひとびとの思いからずれた方向へ向かわないかぎりは。

 今後僕は、自分自身の本来の専門分野である中国考古の方面で、歩みを速めることにします。

重新开始 [雑談]

 先日南京から帰ってきた翌日、今回の東北関東大地震が起きました。驚きました。
被災された方々、直接被害はなくとも生活に不便をされている方々、心よりお見舞い申し上げます。
 震災の状況を鑑みて、ブログの更新を見合わせていたのですが。。。ぼちぼち再開することにします。

 今回の震災では、関係地域にいる知人・友人についてはおおかた皆、無事ということがわかり、ひとまず安心しました。しかし東北関東という広範囲な地域、数多くの人々を考えると・・・まだまだこれからですね。
 名古屋は現地から遠く離れているので、当日震度3程度の揺れがあっただけで、まったく何も起こりませんでした。でも、何人もの中国と台湾の知人や友人、先生、研究会・学会から、僕個人への意味だけでなく、すべての日本人に対しての、お見舞いと安否確認のメールをいただきました。本当にありがとうございました。

 こんな状況の中、遊びに行く、研究をするなど、震災を憚らない事をするのが不謹慎であるかのような空気があります。自分も心情としてはとても気にかかりますし、迷いはあります。でも災害の影響を受けなかった人間は、やはり心情的なことで自粛に徹するのではなく、普通の生活を送る必要があります。そうでないと日本社会全体が停滞してしまいます。経済を活発にしないと、義援金の寄付も物資援助も人的援助も何も、あったものではありません。スーパーで自己中心的な買い占め行為をする余裕があるくらいならば、その余裕を前向きな消費につぎこむべきです。
 それからこれを機会に、たんなる復興ではなくて、われわれ日本人のものの考え方から、生活の環境・スタイル、社会のあり方、行政、経済戦略、何から何まで、全部チャラにして築き直す方向へ進まないといけないのかもしれません。たんに「元どおり」に戻すだけの復興をやっても、それではまた同じことの繰り返しです。もっと少ない電力で、もっと少ない燃料で、暮らしていくこと。従来とは違う発想の経済・流通拠点計画。国政機能を担う副都、国政府が混乱しても機能する地方の政府と行政区画。・・・どれもただの素人考えですが、とにかくこれまでを前提にしないで再構築すべきあり方が、いろいろ考えられるとおもいます。それができなかったとき、日本には本当のおしまいがくるのではないかという気がします。

 いろんなことが、いろんな意味で、今からがやり直しと再開のときです。

しまった深く考えてなかった [雑談]

 中国古鏡の展示、今日から始まりました。いろいろ不備を発見しています・・・汗。。
 今日、さっそく見にきてくださったお客さんから早速質問を受けてしまいました。
“「三角縁神獣鏡」、ふりがなが「さんかくえんしんじゅうきょう」とふってあるが、「さんかくえん」と「さんかくぶち」はどちらの読み方が正しいのか?” 
  結論から言うと、どっちも正しいです・・。好みの問題に近いのでは。。。
“向こうの常設の展示ケースでは「さんかくぶち」とふりがながふってあったよ。” 
  え! ( ̄Д ̄;) ガーン それはすみませんでした・・ m(_ _ ;)m

 深く考えていませんでした。僕は普段、「さんかくえん」と音読みするのが習慣なので、そのまま書いてしまいました。しまった・・・。
 でも「ぶち」だけ訓読みなのは、なんか変な感じしないですか。もちろん「平縁」は「ひらぶち」で、「へいえん」とは読まないから、統一して「ふち」「ぶち」と読むのがいいのだ、という話も知人から聞いたことがあります。だけど、「斜縁」は「しゃえん」であって「しゃぶち」とか「ななめぶち」ではないですよね。
 困ったなあ。。

新年 [雑談]

遅まきながら、新年明けましておめでとうございます。
このつまらんブログを見てくださっている皆さま、今年もどうぞよろしくお願いいたします。

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。