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安陽西高穴村大墓の陵園 [魏晋南北朝考古]

 曹操墓と目される安陽西高穴村大墓では、おもに墓室や出土した隨葬文物が何かと注目を集めている。しかし個人的には西高穴村大墓の陵園がどのようなものなのかが非常に気になっていた。報道や『考古』の概報、調査主体者である河南省文物考古研究所が出版した公式見解の書籍『曹操墓真相』(下記紹介)も、陵園の規模や構造について、言葉では説明しているが具体的に図示したものがなく、いまひとつよくわからない。
 先日、中国のテレビで放映された曹操墓特集番組のなかで、陵園の平面模式図が紹介されているのを偶然発見した。あわててそれをスケッチし、今後の個人的な参考資料にとおもい清書してみたので、紹介しておく。ただししょせんはスケッチから起こした図なので、縮尺や規模・距離などは厳密に正確ではない。曹操墓陵園概念図.jpg
 西高穴村大墓の陵園の面積は8,934㎡。発掘調査によって北・南・東の陵垣の基部が残存していることがわかり、その基部での計測値は北垣100.81m、南垣100.81m、東垣68.87m。陵園の中軸線は1号墓と2号墓の間にあり、それぞれの墓の神道に対応して東垣に陵門が設けられている。東垣は南北垣にはさまれており、東垣の東方外側には南北垣に囲まれたやや広い空間がある。ここは墓祭空間であると考えられている。陵園の丘の東斜面の下には南北に細長い水濠があり、この濠の掘削時期は明確ではないが、いちおう西高穴村大墓にともなう遺構とされている。
 西高穴村大墓の陵園は漳水が形成した南岸の河岸段丘上の小高い丘に立地している。これは「因山為陵」の陵墓選地の表れとされる。この丘の地形を利用して、上部に平坦地を造成し、縁辺を陵垣で囲んだもののようである。そのため地形の制約を受けてやや不整形で限定された規模・形状となっている。逆に言えば、この程度の空間が確保されればよいと考えて選地したとも考えられるだろう。陵園を検討することが、いわゆる薄葬遺令・薄葬詔の実態と本当の意味を知る大きな手がかりになると考えているのだが、どうだろうか。
曹操墓真相.jpg曹操墓真相
編著:河南省文物考古研究所
出版:科学出版社
出版日:2010年5月
サイズ:16開
頁数:214頁
ISBN 978-7-03-027639-1
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