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百舌鳥古墳群から中国三燕 [博物館]

●堺市博物館
 特別展 『仁徳陵古墳築造-百舌鳥・古市の古墳群からさぐる-』
●奈良文化財研究所飛鳥資料館
 秋期特別展 『北方騎馬民族のかがやき 三燕文化の考古新発見』
 先週の土曜日(11/7)、この2つの展示を見てきた。
 堺市博物館の方は、気がついたら最終日間近で、会期終了間際のこの日に、飛鳥資料館へ行く前のまさに駆け込みだった。ふだんなかなか見ることのできない、百舌鳥古墳群全体の貴重な出土資料が一堂に会され、膨大な量の鉄器、埴輪、貴重な鏡や石製品など、研究者にとっては圧倒的な迫力があったとおもう。
 個人的には、あらためて誉田丸山古墳の鞍金具を間近に見る機会になったことが興味深かった。konda2.jpgkonda2-2.jpg今回は展示されていたのは丸みを帯びた形状の2号鞍だけで、角張った形状の1号鞍は写真パネルだったが、それでも製作上の特徴や工芸の巧みさはつぶさに見て、また作風を感じることもできた(写真は堺市HPから)。
 飛鳥資料館では、中国遼寧の三燕の出土遺物が展示されている。展示室が小さいこともあるし、正直なところ展示品の数は少ない。しかしながら、いままでは遼寧省の省博物館や市県級博物館へ行けば一部を見ることができたが、日本での展示自体が珍しい。sanyanwenwu.jpgとくに今回は、近年調査された三燕の有力者層の墓葬群とみられる喇嘛洞遺跡の出土文物の一部が展示されており、世界に先駆けて三燕文物の最新成果を日本で展示するのはめったに例のないことだ。これは遼寧省文物考古研究所の努力と奈文研の日中共同研究のたまものだから、今回の特別展はじつに特別公開といっていいだろう。
 「三燕」とはいうまでもなく、4世紀を中心とする中国華北の十六国時期に、相次いで遼寧を本拠として華北を席巻した前燕・後燕・北燕の総称(ほかに南燕や西燕もあるがごく短期かつ支配領域の狭い地方軍閥の意味あいが強いので省かれる。前後・南北西の名称は後世の用語で、当時はすべて「燕」と自称。)である。近年続々と出土する馬具や武装などが、日本の古墳時代遺物や朝鮮半島三国時代の遺物と酷似あるいは共通するものがみられるため、古墳時代研究者の間でもにわかに脚光を浴びるようになった。また一方で、三燕は元来いまの内蒙古周辺に居住した遊牧民である鮮卑族を主体とする国家群だから、出土文物にも遊牧民としての鮮卑族の習慣や伝統がうかがえる。これら三燕文物は、三燕という遼寧の4世紀代の歴史の特色を知る意味でも、日本や朝鮮半島の遺物との直接的比較という意味でも、大変重要なものだ。
 しかし個人的には、これらとは別の見方でもこの三燕文物をみてほしい。両晋・十六国・南北朝時期というのは、いまのところ中国王朝のとくに動産的な文物の実態がよくわからない時代だ。しかしその工芸技術や文様の展開の様相、周縁的な出土文物の傾向からみると、三燕や河西地域など当時の文物の実態が比較的明らかな地域で現在出土しているものは、互いに類似したものも少なくないし優れた文物が多いが、それらの地域が祖形や発信源であるとはいいがたい。ということは、それらの標準形となった技術や文物はほかにあるはずで、それは実態不明な中国王朝の文物そのものだったと考えるべきだろう。つまりのところは察しがつくとおもうが、三燕文物にかんする別の見方というのは、いまだ実態がわからない中国王朝ないし中原・関中の文物の様相の投影という観点から、三燕文物の本質を見極めるべきだと、個人的には考えるのである。またそういう目で見れば、誉田丸山古墳の鞍金具のナゾも解けるのではないだろうか?
 これを読んで、そんなことは言われなくても先刻承知、という方も多いとおもうが、もしまだこのことに気づいていない方がいたら、意見として参考にしてもらいたい。三燕にかぎらず、古代東アジアの文物をみる面白さも少し広がるのではないだろうか。
 なお、『北方騎馬民族のかがやき 三燕文化の考古新発見』は今も開催中で、今月29日(日)まで、期間中無休でやっているそうだ。会期末間近なので、興味のある方は連休中にでもぜひ見に行くといいとおもう。
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